僕がアプリ開発者になった経緯

   

明けましたらおめでとうございます。
脱出ゲーム作ってる竹内です。

今朝、私の住むアパートの近くにいつも迷惑駐車している、DQNのハイエースのクソ下品なエンジン音で目がさめました。5時半くらい。

二度寝出来なかったのでTwitterを眺めていたら、我が師、Popさんが過去を振り返るブログを書いていました。

ゲームプログラマーになるまでを振り返ってみた

僕は確か中1くらいから携帯を持っていましたが、ガラケー時代はゲームがどう動くかすら知らなかった・・・。
そしてcocos2d-xだけじゃなく、3DCGでも先輩だったなんて!

そして寒くて布団から出られなかったのでTLで見かけた復活勇者を遊んでいました。

タップするだけのゲームですが、1時間くらい楽しんでいました。
4本指でタップしたらとても早く殲滅できたのですが、たぶん意図している動きではない気がする。

復活勇者もひと段落してTLを眺めていると、 毒きのこさんも振り返りブログを書いていました。

2016年の振り返り…ついでに今に至るまでを振り返ってみる

毒きのこさんが元ヤンという衝撃的な事実もそうですし、大学までPCすら触ったことがないと書いてあり驚きでした。

とりあえず、怒らせないようにしようと誓いながらRTをしたところ、このようなリプをいただきました。

スーパーマンとか先生とか気になる点はありますが、早速書いてみようと思います。

とはいえ、何も劇的なことはありませんが・・・。

 
書いていたらくっそ長くなりました。
簡単な目次つけときます。

ごく普通に過ごし、大学は一応卒業しました。

自分で言うのもなんですが、ごく普通の学生生活を過ごしました。
テレビゲームはあまりやりませんでしたが、PCは母が早くに買っていたので小学生高学年くらいには家にあったような気がします。

よくある話ではありますが、エロサイトを見てウィルスとかにやられながら最低限のPCの扱いを覚えた記憶があります。

中学生の頃に超長寿MMORPG、「ラグナロクオンライン」にハマりました。
昔から操作も絵柄も何も変わっていないのに、今でも楽しめるゲームってすごいですよね。

ちなみに、この当時自分のキャラを紹介するホームページが流行っていて、僕も自分で作っていました。
Windows標準のメモ帳を使って、HTMLベタ打ちで作っていました。

当時はCSSとかその辺は全く分からなかったので触っていませんでしたが、これがプログラムとの出会いですね。
(当時は自分がプログラムを書いている思っていませんでしたが)

たぶん、ここでの経験があったから、cocos2d-xにすんなり入れたのかもしれませんね。

 

高校はあんまり行ってなかったし、行っても寝てた気がします。
見捨てないでくれた中学校からの友達には感謝です。

この頃、バンド活動を始めました。
自分が最年少、3~6歳くらい上の人がいました。
僕が就活を考え出す20歳くらいの時に、当然彼らは就職をしているのですが、それが僕の将来を変えたといえるかもしれません笑

 

大学には一応進学したものの、ほんと正直行かなくてもよかった気がします。
大学は能動的に活動できる人の行くところですね。

音楽とバイトに明け暮れる生活でした。

就職活動

世は就職氷河期と言われてはいないものの、就職率はとても低い状況でした。
幸い、ゼミが就職対策のゼミだったことと、自分でも就職や面接でのコミュニケーションについて勉強していたので特に心配はしていませんでしたが。

しかし、就職をしていいものかという疑問がありました。
当時は今ほどブラック企業がメジャーではありませんでしたが、ネットではブラック企業の情報はわんさか出てきます。

さらに、組んでいるバンドメンバーの就職先が軒並みブラックだったのです。
近い人たちが(僕がその立場だったら)ひどい(と思う)環境にいることは当時の僕にとってとてもショッキングな事実でした。
(遊べなくなるしね!)

ところで、当時僕には彼女がいて、古い考えかもしれませんが付き合っているのだから将来のことは考えようと思っていました。
ですから、就職することに疑問を持ちながらも、大手の金融系を目指しておりました。

ところが、就活の面接期間中にフラれてしまいます。
幸いそのことをネタにして某友達証券から内定はもらったですが、前述の考えと将来のことを考える必要が無くなったので辞退しました。

そして2013年3月、大学を卒業し起業の道へ・・・!

いろんなことに手をだしたなぁ・・・。

大学在学と重なる時期に、母の誘いで整体の仕事を始めました。
宝塚のとある治療院に師事したのですが、そこがなかなか面白かったw
院長のワンマン経営で、内情はブラック企業そのものでした。

しかし、腕とカリスマ性はあったので、常に人が絶えない店でした。
今思い返すと、そこでの学びはとても大きかったと思います。

そこの院長は、施術者ではなく、ビジネスマンでした。

腕は確かな人でしたが、目的は人を良くすることではなく、お金を稼ぐことだったのです。

別に悪い意味じゃありません。
お金を稼ぐためには、腕が無いといけないということ知っていた人でした。
だから、施術はしっかり結果を出していました。

・目的と手段は切り離してドライに考えるべき。
・やりたいことはそのあとからでも出来る。

という価値観はこの時身についた気がします。

その後独立した母の元でしばらく仕事をしていました。
坐骨神経痛で歩くのがやっとの祖父を、軽くですが走れるようにもしたし、杖をついてきたおばあさんが杖無しで歩くのも見たし、
赤ちゃんの頃の寝ぐせで頭蓋骨が歪んでいた女性の頭も丸くしました笑

しかし、母はどんどん値引きをするタイプでした。
歩合でもらっていたため、そのしわ寄せは僕に来ます。
仕方ないのキャバクラの送迎の夜勤をしていました。

しかし、寝る時間が無いってかなり厳しいですね・・・。
20時~23時、6時~8時、みたいな小分けの睡眠でしたが、人間は朝起きて夜寝るものだなと心底思いました。

この時に
「僕は1時間6000円は貰えるんだから、文無しになってもなんとかなる」
と考えるようになりました。

 

どれくらい続けたのかは忘れましたが母の店は辞め、次はアフィリエイトに手をだしました。

某企業を発端に話題になっている、SEOを悪用してアクセスを稼ぐ系のアフィリエイトでした。

「A記事の一部とB記事の一部をリライトしたらオリジナルだ」
みたいな考えを信じてやっていましたw

月10万行くか行かないかくらい稼げるようにはなりましたが、自分はゴミを量産しているのはないかと気付き、やめました。

とはいえ、サイトを作って記事を書くのは面白かったので、次はまともな方法でチャレンジしたいな。

 

そして友人に誘われ、会社を興します。

某ネット回線の営業へ

暇なのでぶらぶらしていたら電話がかかってきました。
「くーちゃん(僕のあだ名)社長しない?」
「いいよー」
こんなやりとりで、会社が作られました。

いろいろあったので割愛しますが、通信回線業はまぁ酷かった。
ほぼ詐欺みたいな内容のトークスクリプトが当然のように出回っていました。
ぼちぼちお金にはなりましたが、拡大のタイミングをミスって没落。

関西の賃貸アパートの案件が流れてくるシステムも、上位店(僕のところが3次請けか4次請けで、その上)の会社が倒産して頓挫。
それに合わせてパートナーの一人がお痛をして、その流れで回線の代理店業は辞めました。

ここでの経験から、クリーンに真っ当に生きようと決意をしました。

第一次アプリ開発期

代理店業をやめたのが、2014年の末ごろ。
2015年の1月に奈良に引っ越してきて、回線業のパートナーとアプリ開発を始めます。

きっかけはこれ。まとめサイトだけど。
今月の広告収益が100万に達するのでCocos2d-xを利用したアプリの作り方教える

おー、まじかー、月100万も稼げるのか!
ゲーム好きだし、Ragnarokみたいなゲーム作ったらうはうはwwww
ついでに自分達の作った音楽を売れたら最高じゃね!?
cocos2d-xとか知らないけど、たったこれだけ書けば動くなら出来そうじゃね?
とか、そんな甘い考えで始めました笑

ちなみに、先日の長野合宿で(たぶん)本人にお会いできて感動したのは別の話。

Macは営業時代に何となく買ったMBAがあったのでパートナー用に1台追加購入。
ディスプレイもネトゲ用に1台あったのでもう一台購入。
参考書籍もいくつか買って勉強開始しました。

1年経たずに、ゲーム5つ、ツール1つ作ったのかな。
基本的には相方がJavaでAndroid、僕がSwiftでiOSって分担。
ゲームは一つがApple審査通らずに出せなかったけど。

あ、ちなみにcocos2d-xは環境構築で躓き、書籍とのバージョン違いで躓き、挫折しましたw

そして、資金が尽きかけて最後にリリースしたのが脱出ゲームでした。
とても簡単なものでしたけどね。

そして第一次アプリ開発期は終了しました。

第二次アプリ開発期

第一次アプリ開発期も終わり、特に何をするでもなく日々を過ごしておりました。
しかし、何もしなくてもお金は無くなっていくもので、そろそろ仕事を始めないと流石にやばいという状況になりました。

パートナーが脱出ゲームで少し稼いだという話を聞き、
「3か月で成果が出なかったらおとなしく就職をする」
という制約のもと、アプリ開発を再開しました。

2016年3月のことですね。

1本目のアプリは4/22リリース。そして大爆死。
というのも、ターゲットOSが最新のみになっていました。
修正したものの時はすでに遅し。2週間で5000DLくらいでした。

ちなみに、DL数の多い少ないに関してはいろいろ意見はあると思いますが、いつも「自分の目標に対して」多いか少ないかで発言しております。

DL単価は2円くらい、2週間で1万円くらいの収入です。

2本目のアプリは5/16リリース。まぁ悪くはないかな。
DL数は2週間で4万ちょっと。売上も同年代のフリーターくらいは上がりました。
ちなみに、現在では12万DLくらいいっていて、僕のアプリでは一番DLされています。

そんなこんなで、現在8本リリースしております。

戦略を持って挑む

第一次アプリ開発期にはDoorsやCUBICROOMはもう出ていました。
Izumiさんが攻略掲示板でマネタイズもしていましたし、Sato Goroさんはヒントの動画広告を導入していた記憶があります。
AndroidではNeat Escapeさんが出せば10万DLという結果を出していました。
そして友人も脱出ゲームをリリースし、結果を出していました。

じゃあ、そこに戦略を持って飛び込めば結果は出るだろうという確信がありました。

戦略というと仰々しいですが、
「安定品質を安定供給」ですね。
(初期の品質は低いですが笑)

僕のここ数本のクオリティを毎月リリースできるようになれば、AppStoreが無くなるか、広告モデルが息をしなくなるまで、まぁなんとかなるでしょうw

理想は週1ですがね。
「毎週月曜日の通勤時間は竹内の脱出ゲーム」
みたいなサイクルを作れたら最高じゃないですか!

脱出ゲームは攻略サイトがたくさんあって営業してくれるので助かっております。

さいごに

へましたらすべてが無に帰すというプレッシャーはあるものの、アプリ開発を始めてよかったと、心底思います。

お金の面でもそうですが、何より楽しい。
毎日電車に1時間ゆられて仕事に行く必要もなく、毎日気が向いたら仕事をして、疲れたら遊びに行く、そんな生活が出来ることが何よりも幸せ。

ストアを汚して、ユーザーを裏切れば、今よりももっと稼げると思います。

でも、そんなことはせずに真摯に取り組んでいたら、もっともっと幸せな日々が過ごせると信じてがんばります!!

 

 

僕が本当にやりたいこと

さいごにで締めたのにさらに書きます。
口に出していたら願望が実現すると信じて!笑

僕と名刺交換していただいた方はご存知と思いますが、僕は肩書を「ゲームプランナー」としています。

資金的に来年以降になるかと思いますが、脱出ゲーム以外にもプランナーとして挑戦していきたいと思っています。

しかし、僕には組織での開発経験はありません。
(第一次は二人でやってましたが、各々で開発していた感じなので)

心優しい先輩がいらっしゃいましたら、どうが僕にご教授いただければ嬉しいです!

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